お母さんと、お母さん側のおばあちゃん宅に帰省した。
父方の祖父母、母方の祖父は他界してるから、今じゃ私にとっての唯一の祖母のおばあちゃん。
私一人でなら半年前にも行ったんだけど、お母さんとの帰省は9年ぶりだった。
お母さんとおばあちゃんが会えてよかった。
お母さんが、昔の写真を探してて、それを探すついでに、お母さんとおばあちゃんと私で、昔の写真を見返してた。
一族の白黒写真を生で始めてみた。
おばあちゃんが嫁入りする時の写真とか、学生の時の写真。
お母さんが子供の頃の写真も。この頃はもうカラー写真。
おばあちゃんの家には写真がたくさんある。
私の子供の頃の写真も沢山ある。
小さい頃から、というか生まれた時から顔がでかくて、なにがしかの諦めがついた。
どうしようもねぇこともあるんだな。
なんか、おじちゃんが藁のベッドで戯れてる写真とか、もはや古き良き昭和の貴重な資料になるんじゃないかな、って感じの、教科書に出てきそうな写真がたくさんあって、メルカリで値段つかないかな、とか考えた。ゲス。
お母さんが探してたのは、お母さんが子供の頃、家の庭で、シェー!!ってポーズをしてる写真だった。
その写真があることを覚えてることも、その写真を探してることも、謎すぎて、うちのお母さんは面白いなと思った。
無事見つかった。思ったより遠距離で撮られててがっかりしてた。それがなんか面白かった。
おばあちゃんが昭和9年生まれだってことを初めて知った。
終戦のラジオについて、どう思ったのか聞いてみた。
小学5年生だったから、悲しいとかは多分分からなかったけど、もう飛行機が飛んできても、逃げなくていいんだな、って思ったことは覚えてる、って教えてくれた。
家の近所の学校が爆撃されて、その時は生きた心地がしなかった、怖かったって教えてくれた。
胸がつまった。聞けてよかった。
話は変わっておばあちゃんがお母さんを生んだ年の話になった。
母「24歳の時だよ」
私「え、お母さんもおばあちゃんも私の年齢の時にはもう子ども生んでたんだ…私うんでない…」
祖母「今時普通だよ」
おばあちゃんは、私が結婚できないかもと話したときも、
「今時別におかしいことじゃないよ」
って言った。
悩むこともなく、すぐにそう言った。
お父さんもお母さんもちょっと急かすのに、
おばあちゃんがそう言ったのが、意外だった。
あと、私が、働きたくなさすぎて←、
働きたくない!なーーーんにもしたくない!!
って言ったら、
「なら休めばいいよ、ちょっと休んだところでなんも大変なことじゃないよ」
って言ってくれた。
おばあちゃんも昔はいろんなところにいったから、旅行でもいいし、帰省でもいいし、休めばいいって。
すぐに言ってくれた。
おばあちゃんは、腰は曲がっちゃったけど、自分のことは自分でできるし、畑の世話も田んぼの世話の手伝いもしてる。耳は遠くなったけど、大きい声で喋れば会話も普通にできるし、
ご飯は大したもの用意できないって謙遜するけど、お米がお米だけで食べれるくらい美味しい。
そんで、家族の誰よりも令和思考。
かっこいいなーって思った。
おばあちゃんに、昔に戻れるとしたら、いつに戻る?って質問した。ら、
「けど、戻れないからねー」
って言った。
その通りだなと思った。
そんで、なんか、私は、もちろん分かってるんだけど、その事を改めて噛み締めなきゃいけないなと思った。
長生きしてほしい。