穀潰し日記

日々のことを綴ってます。

今年だけあった休日

即位礼式殿の儀の中継をみた。この日の正しい過ごし方のような気がした。
万歳もした。各国の方たちの衣装が華やかで、いろんな文化がある。
ツイッターを開いたら友達が各国の皇族のファッション特集してほしいって言ってて激しく同意した。ハゲドは、さすがに死語なのかな。
初めて言われた時、悪口言われたかと思ったんだけど、その記憶が驚くほどなくならない。

美術館が無料なので訪問した。昼もだいぶすぎていたからか、人はそんなに多くなかった。けど明らかに普段はこないようなお子さんとか、展示をみて「訳が分からんわ~」って高らかに放つ人もいた。普段は普段美術館に足を運ばない人たちが天皇のおかげで美術に触れる機会を得たんだな。

どんな展示をしているのかも知らずにきた。
30分くらいで出るだろうな、って思ってたんだけど、見ごたえがあった。

40年くらい、毎日切手に押印をもらっている作品で、100枚のシートがひたすらずらーって並んでた。
どんな気持ちでこれを見ればいいねん、と初めて遭遇するアートに放たれるジャブをさっそく食らった。
楽しみ方が自分の誕生日の日付を見つけるしか浮かばなくて探した。ら、なかった。私の誕生日は日曜日だったみたいだ。残念だったけど、日曜日に生まれたってことがなんとなく嬉しくて、来てよかったなって思った。こうして文字にすると、自分の喜びの見いだし方に少し驚く。
それからずらーっと見ていったんだけど、平成17年辺りで、時の流れの早さに気づいた。
ふと振り替えったら、私の誕生日から20メートルも離れてない。
うわ、私な生きてきた日々ってこんなもんなのかって、初めてこれまで息してきた日々を可視化されて、喉がつまった。
人生って長いのか短いのかわからない。
あっというまに就職した日付にたどり着いた。
まさかこんなところで人生の長さについてこんなに節々と感じさせられるなんて思いもしなかった。
まーじで必死に生きないとなんだろうな。体力有り余ったまま死んじゃうよな。
自分の人生ついでに、文明の発達におどろく。9000日程度で携帯電話が生まれてスマホにまで進化するってすごすぎる。
人間ってすごい。
そしてたった9000日で失われていくオゾン層

戦争に関わる展示に続いた。

戦争でなくなった兵士の方たちに似せて作った地蔵のような、石像の切手をみた。その顔の幼さに驚いた。
この人たちがどんな作戦で、どこにいって、どんな風に亡くなったのかが文章で紹介されてた。
私よりも若い子達で、現代に生まれてたら立派な人になってたかなってなかったかは知らないけど、こんな風に石像になることはなかったんだよな。
教育って大事だ。

戦犯として裁かれた方たちの遺書も、何件か読んだ。キツかった。悪いことはしていない、作戦に従った、後悔はしていない。戦争に負けたから戦犯になるけれど。家族には、国のために死ぬのだから、恥じることなんてない、っていう内容がほとんどだった。
体力を削がれたみたいに心臓の辺りに重石をつけられたみたいになんとも言えないブルーな気持ちになった。
この人たちを非難したいわけではない。
知れてよかった。やっぱり戦争はしないほうがいい。幸せになれる人が圧倒的に少ない。

私が生まれたのが、戦後47年の年だってことにも驚いた。まだ50年もたっていないうちに生まれたんだ。
戦争なんて起こらない、日本はしないなんていう確信が心にあったけど、慢心だったな。
保険が無駄になる予感がした。


壇蜜さんが壇蜜ダイアリーで、311の日の日記に、生きていることに感謝できることは贅沢だって言ってた。
その通りだと思う。