穀潰し日記

日々のことを綴ってます。

amazarashiのライブで、光、再考を聴いて感じたこととか思ったこと

amazarashiのライブにいった。
学生の時から、受験とか就活とか仕事が辛い時とか、励ましてきてくれたバンドのライブに初めて行った。
泣けたライブが良いライブとは思わないけど、泣いてしまったってことは、それだけ自分の心の琴線に触れられたってことは間違いない。
思い出したらまた胸にグッと拳を押し当てられるような圧迫がある。

言葉、言葉、言葉。言葉にすることについて、その重要性について訴えかけられた、ちがう。そうしてきた秋田さんの歌をきいて、思いをきいて、だからこそ、いま、言葉にしたい。例えられないことほど例えろっていう歌詞。言葉にならないことを言葉にするって歌詞。秋田さんの生きてきた、追いかけてきた夢とは土台も舞台も違うけど、ライブで私が感じた気持ちを、考えたことを、なにが心に響いたから泣いたのかを、言葉にしたい。言葉にすると、その感情が嘘みたいに感じることがあって、言葉にするとその感情に反する自分がひょっこり顔だしたりしてきて、(別にそんなことないんじゃない?あんたが悪いでしょ、とか)、白けてしまってヒュ!ってなることが多いんだけど、今はそれでも言葉にしたい。

光、再考
学生の時にきいたときは、この曲の良さとか、なんで秋田さんが歌詞に登場するものに光を感じたのか分からなかった。彼女の存在に光を感じるところに、へんな反発もあったかも。恋愛してなかったからかな。他のamazarashiの曲みたいに、大人になった今も聴いたりしてはなかった。
そして昨日。
1つ目の光のとき、自分でも驚くくらい光って言葉が、心臓の辺りにグンって落ちてきた。
懐かしさだけじゃなくて、そんな、と、光の1拍おいてから絞り出されるみたいな光って言葉が、体に染み込んできた。
あの頃分からなかった光が、私にも光になってた。
秋田さんが感じた光とは、そりゃ意味は違うと思うということは一旦置いておいて。私が感じた光。

手にしたものはこの愛着だけかもな、そんな光
誰かに変わることはできなくて、嫌いな自分でも生きていくしかなくて、だからこそ自分が好きな自分になりたいな、って思ってもなれない日々で。
違う誰かになれるならなりたい。よく想像する。そんで、妄想のなかでは面白くて実物よりかわいくて大学祭でみんなの前で歌ったり上司に泣きながら反抗したりする。妄想癖がすごくて、白昼夢みたいに一瞬意識飛んでたりする。
情けないよ。けど、そんな情けない私で明日を迎えるしかない。頑張るしかない。
最近、そう感じる日々が増えてきていたんだけど。
それに感じていた前向きなのか後ろ向きなのかよく分からない気持ちは、光だったのか。
仕方ないから、私がなんとかしてやるか、なんて自分の尻拭いして生きていかなきゃいけない。しんどいけど、それは希望でもある。25年も生きたから、もう私って人間を痛いくらい分かってしまったから。そんな私でも生きていくしかないよなぁっていう。それを諦めとかじゃなくて、光なんだって思ったら、泣いちゃった。生きていくことが前に向かって歩くことだとしたら、うずくまってる自分に、前がどっちか教えてくれる光

それは人から受けとる愛情や人に向ける愛情でもあるんだよな。秋田さんの付き合ってた彼女はどんな人だったんだろうか。秋田さんは彼女にどんな愛情を向けたんだろう。私も出会いたい。あー、この人にであえたから、私でよかったなって思えるような人に会いたい。



この前友達が、風呂場の中は精神が震えるよねとか、号泣することがあるって話してて。そんなこと考えなさそうな子が考えてたから意外だった。そういう目に見えないなにかに震える夜をみんな過ごしてるんだってことが、だいぶ嫌だった。
みんなそうなら、それは普通のことで、そんな普通のことにこんなに悩んだり情けなくなったり浸っている私のキャパどんだけ狭いんだよ、と。
己が恥ずかしくなって嫌だったんだけど。
そういう気持ちはあるんだけど、それを、みんな同じ、大丈夫とは完全には思えないんだけど、みんなが光で、それが集まって辺りを照らす光景が広がった。辺りっていうか私の視界。それがあったかいなって思った。
上手くいかないときはだれにでもあるよ
それなのに私は、って考えてしまうのはもう癖みたいなもので仕方ないかもしれないけど、それが光でもあるんだって視点が優しくて、心に響いたよ。

全部ではない。けど、なんで秋田さんがそこに光を感じたのか、イメージしたのかに思いを馳せることが、高校生の自分よりもできたの。生きてきたんだなって思った。ただ年取って、老けただけじゃん私って、変わらないことがただ切なくなるけど、それを無駄じゃなかったと言われても慰められる反面悲しくなったりするけど、こうして思考が変わることについては、成長なんだって変化してるんだって、自分を認められる。
日常の中のささいなこと、ふと胸を揺らすようなこと、突然やって来る不安とか、どうにもならないことを悟ったときの心境とか、人って穴ぼこでぐらぐらで浮き沈み激しくて、だからこそどこにいても光は漏れてくるのかも。
その漏れてる光が光だって気づけた。
最後の今は日陰のなかにいるだけ、ってところ。
日陰から出ようって一歩踏み出すことじゃなくて、そのうち雲が動いて日向になることを想像したの。いま考えると、そういうのがもう駄目なのかもね、って思うけど。ただそれだけ、っていわれたら、泣いちゃうよ。泣いちゃうよ~
繰り返される光って言葉が、どんどん強くなってく。秋田さんの声で紡がれる光、閃光。提灯、車のライト。
夢も希望も未来も、諦めさえ光。
光って最高に明るい言葉だよな。

未来は明るい、そう思わないとやってられない夜とか、別に悪くないかと思える夜とか、そうじゃないって震える夜とか、この舞台に立つ秋田さんがこれまで越えてきた夜。夢を追わなかった私が、越えてみたかった夜。
それに思いを馳せたら、想像したら、涙が出てきた。この人はこんな夜を越えて、私をこんなに助けてくれるのかって。